「笑顔」を絶やさず心を開いて上機嫌に
年明けのあるテレビ番組に、島に住む一人の小学一年生の女の子が出ていた。その子が言っていたことが今なおとても印象深い。
「大きな声で挨拶すると島のみんなが喜んでくれるの!」「だからいつも大きな声で挨拶するようにしているの一・」「そしていつも笑顔で楽しく生きるようにしているの一・」
「だって、悲しい顔をしていたら、みんなを悲しませるから……」天真燗漫、まるで天使のような彼女の姿に感動し、癒された視聴者も少なくなかったのではないだろうか。
実は彼女は、島で唯一の小学生。そのことを自覚しているのだろう。本当は友だちが一人もいなくて寂しいのに、島の人たちのっことを思い、「みんな喜んでくれるから」という、天使のような存在だ。笑顔が人に伝播するように、悲しい顔もまた、見る人を悲しい気持ちにさせることことを、彼女は小学一年生にして熟知しているようだ。
本年の「年頭の辞」では「私たち人間は人のために尽くすように創られている」「利他」でなければ生きられないように、人は創れている」と教わった。あおの事を自らの身をもって体現している彼女の姿に学ぶことは多い。
挨拶の「挨」は「押し開く」、「拶」は「せまる」を意味する。相手の心を開いてせまること、心の扉を開く鍵、それが挨拶である。
彼女の、元気な挨拶は島のみんなに喜んでもらうために、心を開いてせまる「上機嫌の実践といえよう。私たち大人も、挨拶はする。
しかしそれが、笑顔で楽しいもの、相手を喜ばせるものになっているだろうか。形式主義に流れた、木で鼻を括ったような挨拶であっては、「利他」の実践からはほど遠い。
相手に心を開いてせまる少女の実践に学ぶ時、「利他」の対極にある「利己」とは、相手に害悪をを及ぼす自分勝手のみならず、相手と自分との間に壁をつくり「引きこもってしまうこと」でもあることに気づかされる。
往々にして私たち日本人は、相手に対し利己的にふるまうよりも、自ら壁をつくって無関心を装う、消極的な利己心を働かせている場合がある。モノの豊かさや便利さにあふれ、人とのふれあいや会話がなくても生活ができてしまう現代社会。
そんな時代だからこそ、私たちの普及活動は、訪問先のあいてにとっても、自分自身にとっても、ますます貴重な意味を持っているといえる。
「いゆも笑顔で楽しく生きるようにしているの!」という少女の姿に誰もが惹かれるように、今日もあなたの上機嫌な笑顔に癒され、力をもらう人がきっといつに違いない。
情報源:倫理宏正新聞H25.2.1
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