1面から続く 今回の大災害からの復興には現地の被災者たちだけではとてもかなわぬ、国民全体での協力が不可欠に違いない。それは端的に、国民一人々々が自らの我欲をこらえて節制することだ。それによって国民の誰しもが人生の中での堪え性、耐性をとりもどし、ひいては国家そのものが耐性をとりもどし、国家としての品格と存在感を示すことが出来るようになるはずだ。 原発の事故は当然節電を強いることになるだろうが、従来我々が享受してきた生活の中で実は不要な電力の消費は多々あるはずだ。たとえば町中に乱立している自動販売機の消費電力は二十六万キロワットと膨大なものだし、日中からにぎわっているパチンコ店の消費電力も八十四万キロワットと、合わせれば百万キロワットを上回る電力は福島第1原発1号機の二基分以上だ。 自販機協会の幹部はテレビで、我々は力を消費はしているが浪費はしていないと囎いていたが、業界そのものの存在意義がとわれているのに、治安の良さもあってだろうが、町中いたるところに自動販売機が乱立している国など世界のどこにもありはしない。自動販売機からの清涼飲料水の供給は他に代えられるし、パチンコの営業は電力消費のピーク時から変えて深夜にでもしたらいい。 ちなみに在日韓国人に経営者の多いパチンコ業界が母国の韓国にこのゲームを持ちこんだら、韓国の当局はこれが流行すると国力の低下に繋がりかねぬと、かの地では禁止してしまった。 国家の産業、経済は複合的に運営されるもので、業種の社会全体にとっての優劣は自ずとあり得よう。有事の際それを裁断するのが政府であって、かつてオイルショックの際行われた国民の消費への政令による具体的な指導を、今の政権がなぜ行わないのか理解に苦しむ。ただ電力消費の何十%削減などという抽象的な指導でことは動きはしない。 我々が今までなじんで来た生活の様式を、反省とともに具体的に変えていくことこそが、今この事態から国を救い立ち直らせていくよすがになるはずなのだ。国家の最高権威たる政府が歴史的自覚の上に、明確、具体的な政令を発してことに当たるべきなのだが、一体何に遠慮しているのだろうか。政府による正当な権限の行使は決して専制でありはしない。強い指導力の表示があってこそ国民は安,心してそれに従うのだ。 天は今、国家再生のためにこの民族が甘えを捨て、己を抑制することで従来のしない。資質を発揮することを命じているのだと思う。被災した現地で、刻苦しながら立ち上がろうとしている同胞の姿こそがその範を示してくれているではないか。 |
情報源:産経新聞H23.5.2