第20回朝日旅行会一宮ツ アー安房・上総・下総・常陸
2006.11.T5・16
解説 生谷 陽之助
第1日11月15日(水)
1.安房国
房総半島の南端にある安房国は四国阿波国から移住して来た忌部氏の根拠地であった。古くから占術を用い、高天原以来、朝廷の神事を担当していた忌部氏は造花神二代、高御産巣日神(タカミムスビノカミ)の後裔とされる天っ神族である。安房の国名は阿波国にちなみ、名付けられた。アメリカのニューヨーク、ニュージャージ州等、移住民が故郷の名にニューを付けたのと、同様に安房は「新あわの国」である。東海道に属し、ランクは中国。安房郡など4郡で、大化改新後、上総国に編入されていたが、統廃合が再三あり最終均には、奈良朝天平宝字元年(757)一国とされた。 国府は南房総市三芳町府中(旧安房都三芳村)。国分寺は館山市国分。鎌倉時代は安西・神余・丸(マロ)・東条氏等が分領。室町時代の守護は上杉氏であったが、のち「八犬
伝」で名高い里見氏が支配していた。江戸期には、館山藩など4 藩に分かれ、明治6年(1873)千葉県に編入された。
◎安房一宮安房神社(アワジンジャ)
〒294−0233 千葉県飴山市大神宮589 TEL0470−28−0034
安房一宮を名乗る神社は、安房神社と洲崎神社(スノサキ)の二社である。安房神社の 主神は忌部氏の祖神天太玉命(アメノフトダマ)。洲崎神社はその妃神、天比理刀当ス( アメノヒリトヒメ)を主神とし、夫神天太玉命を配祀している。安房神社の明治の社格は 官幣大社だが、洲崎神社は県杜であり、創建も比較的新しい。「大日本一宮記」もその他 、通説は安房神社を筆頭の一宮とする。安房神社は延喜式内では、安房坐神社、名神大社 と記載され、古くから社格も高い。
●祭神 本殿(上の宮)天大玉命 相殿 天比理刀当ス 摂社(下の宮)天富命(天太玉命御孫神 天忍日命(天太玉命御弟神、大伴氏の祖紳)主神の天太玉命は高天原の天岩屋戸前に集える紳々の一紳で天孫降臨軍団供奉三十二神にその名がある。その子孫は伊勢・紀伊・阿波・讃岐などにも分かれていた。
●中央に残った主流は、中臣民(藤原)とともに朝廷の神事役として勢力を持っていたが、大化改新以降、中臣氏の台頭により脇役的な存在となった。社伝によると、御孫神の天富命が勅命により四国阿波国の忌部族の一部を率いて、海路東方に沃土を求め最初に占拠したのが、この房総半島の南端の地であったという。現在の安房神社の鏡産地である。 ここに、祖神天太玉命を祭祀したのが創建の由来である。
●麻の栽培 上総・下総地方にも進出し、開拓、殖産。とくに麻穀の播殖栽培にカを入れられ、日本産業の総祖神とされている。ほか、交通安全・厄除開運・家内安全・商売繁盛等の守護神とされている「。阿波一宮大麻比古神社と同神で衣類の麻織物と閑連がある。
●文徳天皇仁寿二年(853)従三位。貞観元年(859)勲八等八房神とされ、古くから安房一宮とされていた。安房の領主里見氏か社領の寄進、社殿の修理などの庇護があった。しかし、江戸時代の朱印領は三十石と、なぜか少ない。
●社殿 明治時代の造営。伊勢神宮にならい神明造。境内5万7千平米。境内に弥生時代住居遺鉢「海食洞穴」(県指定史跡)。全長約11m、高さ2m、幅1.5m 人骨、貝輪、土器などが発掛された。
●粥占神事(1月14・15日)その年の農作物の豊凶を小豆粥で占う古来からの神事である。諸国一宮の中でも枚岡・諏訪・貫前・大物忌・彌彦・砥鹿各神社で行われている。
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