日比谷公園 松本楼専務 小坂文乃様


 今年は、近代中国の革命家、孫文が1911年に、辛亥革命により清王朝を倒し、アジアで初めての共和国である中華民国を建国し、て100周年となる。孫文の一生は、日本と深いかかわりがある。日本に前後9年あまり滞在し、日本の明治維新の思想的影響を受けた。

 日本が明治維新で近代国家として発展(したことによって、西洋列強による侵略、植民地支配を回避できたとの認識に至り、中国も革命によって腐敗した清王朝を倒してこそ、近代化された新しい中国を建設できると考えたのである。

 孫文は革論のための莫大な資金を調達するため、何度も日本に来て資金を募った。その最大の支援者は孫文の親友であり、映画会社「日本活動写真」(現・日活)の創設者である梅屋庄吉だった。梅屋氏は気前よく資金を提供し、革命の遂行に大きく貢献した。

 資金援助のほかにも、孫文は宮崎東天、頭山満、犬養毅ら多くの日本の友人からさまざまな革命への支援を受け、さらに山田良政は、本人が直接、革命の武装蜂起に参加して犠牲となっている。辛亥革命の成功には、日本が重要な貢献をした。そしてこの100年来の中国近代史でも、日本とは切っても切れない関係があった。

 孫文の、日本との密接な関係は、革命の大業のほかにもあり、1915年には宋慶齢(後に中華人民共和国国家副主席となる)との結婚披露宴を梅屋庄吉邸で行い、数多くの日本の友人に見守られ、祝福された。革命の大業に一生をささげた2人の中国人が、万難を乗り越えて日本で結ばれたことは、殺伐とした革命の中で、一つの美談となっている。

 1924年、孫文は亡くなる1年前に、神戸で「大アジア主義」と題する講演を行い、日本が中心として、アジアの自由、民主主義、繁栄の牽引役となるよう期待を示した。辛亥革命からこれまでの1000年間、孫文が建国した中華民国は、艱難辛苦の道のり歩んできた。

 建国の初期は軍閥が割拠し、続いて日本に侵略され、中日戦争後は共産党との内戦が始まり、人々は塗炭の苦しみにあえいだ。孫文の後継者となった蒋介石総統は、共産党に敗れた1949年、全中国35省(当時)で面積の最も小さい台湾省に撤退し、存亡の危機に直面した。

 一方、毛沢東は北京で中華人民共和国を成立させ、武力で台湾を攻め落とす準備を全力で進めた。この60年あまり、中国共産党政権による強大な軍事、政治、外交の打撃を受けながらも、台湾は消滅しなかったばかりか、逆に自由化、民主化の政策が功を奏し、ますます成長、発展を続けている。

 2008年に台湾の馬英九総が就任して以来、「現実を直し、相互信頼を構築し論争を棚上げし、共にウインウインを創出する」の原則で、これまで対立していた両岸((中国大陸と台湾)間にようやく平和の光が差し込んだ。

 孫文は中国及びアジアの民主主義を推進していただけではなく、人類の恒久的平和を構築することを最大の願望としていた。そして、今の台湾は見事に孫文の民主主義理念を実行していると共に、両岸の平和と繁栄にも努力している。これから、両岸の人たちがもっと知恵を出し合ってこそ、共に尊敬している孫文の理念はさらに実現できるのではなかろうか。

 今年、台湾では、辛亥革命と中華民国建国100周年のさまざまなイベントを計画している。われわれ台北駐日経済文化代表処は、辛亥革命にゆかりの深い日本で、華僑たちとともに、日本各地でお祝いの行事を行う。ぜひ日本の皆さまとともに、この記念のイベントを一緒にお祝いしたいと思っている。


情報源:産経新聞H23.3.3



著書発表記者会見http://blogs.yahoo.co.jp/junpaikai2001/53323492.html

「世の中は持ちつ持たれつ諸共(もろとも)に助けあうこそ人の道なれ」
『富貴在心』

富貴在心とは「富や貴さというのは財産や名声ではなく、その人の心の中にあるものである。人は持ち物の多少に依ってその価値が定まるものではない。人の価値は魂にある」という意味だ。