日々元気になるうれしさ」 明美ちゃん基金50年 あの子は今4 成功率25%から生還 基金の医療段がミヤンマーで治療 ヘイン・ゼイー君(4) 生きられる確率は低いと宣告された命だった。ミャンマー最大の都市、ヤンゴンから西へ約50キ。のタンダベン村に住むヘイン・ゼィー君(4)は、生まれつき肺動脈弁が狭く血液が流れにきょうさくしょうくい重度の肺動脈弁狭窄症を患っていた。 「治療が成功する可能性は3割に満たない」東京女子医大の中西敏雄特任教授(66)は昨年9月、明美ちゃん基金のミャンマー医療団として訪れたヤンゴンの国立ヤンキン子供病院で、母の二ートゥさん(46)にそう告けた日のことを昨日のことのように覚えている。 理髪店を営む父のミョウさん(41)の収入では治療費は出せない。ニートゥさんは病に苦しむ息子の看病で働きに行けない。わらにもすがる気持ちで日本の医療団の検査を受けたが、見通しは厳しかった。放っておいたら数カ月で死ぬ。 だが、治療が奏功する確率は25%ほど。中西氏は「治療するかどうか、1日考えてみてください」と両親に判断を委ねた。翌日、両親は息子に治療を受けさせることを決意。 ところが、狭くなった弁を広けるため血管からカテーテルを入れた瞬間、恐れていた事態が起きた。ヘイン・ゼィー君の心臓が止まったのだ。「やはりだめか」 諦めかけた中西氏。だが、できるところまでやろうと心臓マッサージを施した。ほどなく、止まっていた心臓が動き始めた。 奇跡の生還から8カ月。医療団が2回目の治療を行った今年5月、ヘイン・ゼィi君の姿が再びヤンキン・子供病院にあった。1度目の治療で肺動脈弁はだいぶ広がったが、狭い部分はまだ残っている。この先のことを考えれば、さらに広けた方がよいと2度目の治療を受けにきたのだ。 二度目の治療は危なげなく成功し、中西氏はこれでもう治療は必要ない」と太鼓判を押した。寝たきりだったこれまでの日々を取り戻すかのように、活発に動き回るやんちゃ盛りの4歳。「家を飛び出して遊びに行ってしまうので、危ないったらない。本当に手に負えない」と愚痴をこぼす二ートゥさんの顔は昨年と打って変わって明るい。 「日々元気になっていくのが本当にうれしい。来年からは小学生。高等教育まで受けさせて、公務員になってほしい」命の終わりを覚悟した病院で、両親は将来の夢を語った。(道丸摩耶) |