大宰府天満宮情報

大宰府天満宮詳報=宝物殿

藤原氏の陰謀で菅原道真失脚 宇多法皇の尽力もむなし
901年1月25日
この日,突然右大臣菅原道真(みちざね)(57)を大宰権帥(ごんのそち)に左遷することが発表された。左遷の理由は,右大臣道真は低い身分から大臣にまで取り立ててもらいながら,自分の分を知らず権力を専(もつぱ)らにしようとして,宇多法皇を欺いて天皇の廃立を行おうとした。

法律によって断罪すべきであるが,とくに温情をもって大宰権帥に左遷する」というもの。天皇の廃立とは,醍醐天皇に代えて道真の娘婿斉世(ときよ)親王(天皇の弟)を擁立しようとした企てをさすようである。

道真は歴代の学者の家柄に生まれ,すぐれた学才によって宇多天皇に登用され,藤原氏を牽制するためもあって異例の昇進をとげ,右大臣にまで昇った。しかし,醍醐天皇の即位後は,左大臣藤原時平(ときひら)(31)らの反感を買い,三善(みよし)清行からは右大臣辞任を勧められるなど,政界では孤立していた。嫌疑がどこまで事実かは不明だが,左遷を積極的に推進したのが時平らであることは間違いない。

報を聞いた宇多法皇は命令を撤回させようと内裏(だいり)に急いだが,すでに門は厳重に閉ざされていた。2月1日,道真はあわただしく京を発し筑紫に護送され,大宰府の空官舎に軟禁される。配流(はいる)の生活を送ること2年あまり,望郷の思いはやがて諦観の心境に達したが,不自由な暮らしに老病はつのり,903年2月25日,59歳で生涯を閉じる。


「去年の今夜,清涼に侍す。秋思の詩篇独り腸を断つ。恩賜の御衣(おんぞ)今ここにあり」。左遷の前年9月重陽(ちょうよう)の内宴で天皇より賜わった御衣を前に感概に沈む道真。(北野天神縁起)