その3
を読むことができました。授業風に書いた戦中派世代の通過した歴史が、身近に迫ってきました。著者は「日本人の精紳構造にはいったい何が欠けていたのか?」と投げかけています。明治維新から日露戦争まで40年かかって築いてきた大日本帝国を、その後の40年で滅ぽしてしまいました。戦争が終わって日本の死者は260万人といわれていましたが、最近の調査では約310万人を数えるとされています。それに敵の数
を加えれば約600万人にもなる人が死んだのです。わが戦中派世代は特攻作戦で陸海軍合計で4615人、「青春を国のために捧げた友は、靖国に離されたままになっています。これが昭和史の結論なのです。」と著者は言います。底なしの無責任がもたらした悲惨です。

 過ぐる平成3年4月17日、終戦当時の鈴木貫太郎元総理の命日に「遺徳顕彰の集い」の実行委員会代表をしました。聖断を仰いで終戦に導いた鈴木首相は、日本を救った恩人ですが、戦後一度も公に鎮魂をされていませんでした。ご子息の鈴木−さんと相談して、学士会館で鎮魂祭を行いました。元宮内庁侍従次長鈴木−さんと、半藤一利さんの講演で感動を覚えました。その日は、ソビエト連邦のゴルバチョフ書記長が奇しくも国会で演説をしました。鈴木内閣はソビエト連邦を通して講和の仲立ちを願い、見事に裏切られました。その12月8日にソビエト連邦は崩壊したことに、何か不思議さと恐ろしさを感じました。

 明治元年(1868)3月28日、神仏分離令によって、全国に廃仏毀釈運動が起りました。それは聖徳太子以来の神仏習合によって、日本文化が培われてきた歴史と文化が否定されたことになります。海外に仏像が美術品として流出してしまいました。そして、文明開化の進歩発展を目標に、近代国家への道を日本は歩みます。明治22年(1889)2月11日大日本帝国憲法での政教分離令によって、祭政一致の明治維新の目標は逆転しました。明治39年(1889)神社合祀令によって古代の紳々の場所も合理化され狭まれてしまい
ました。このとき南方熊楠は、鎮守の森が消えると大反対をしました。自然保護の先駆です。

 日本は不思議な国です。創建以来、鎮座された地に、祭祀を継承してきた国々の−の宮が存在していま
す。それは遺跡ではなく、今もご神威が発揮され、清浄なる地が存在しているのです。諸国一の官と言われるように日本は六十八カ国の国々から開かれていきました。それぞれの国の一番の神社が−の宮です。それが制度でなく、存在し生きている不思議な国が日本です。いま、全国−の宮に御朱印帳を持って巡拝される方が八千人を越えました。

 諸国−の宮の神々を巡拝しているうちに、神様にお願いするのではなく、自然と感謝の気持が湧いてくるのが−の宮巡拝の特徴です。巡拝すると知らず知らずのうちに元気になる、というお知らせをいただいています。さらに、ニ回目の巡拝に入る人も増えてきています。神仏習合の長い歴史の上に日本の今日があるのです。『諸国−の宮』(拙著)に関心をもっていただき、諸国−の宮巡拝の志をもっていただけたら幸です。その方たちで自然と全国−の宮巡拝会がつくられ、全国ブロック別に世話人を置いています。山陰ブロックの世話人がアメリカ人であるという事は、日本の神様は世界に通用するということをお示しになっています。

 私も80歳になり、戦中派残存の「いのち」を全国−の宮巡拝にかける覚悟でいます。全国−の宮巡拝が百万人への道に精進します。百万人の波が全国を循環するとき、一人一人が輝き日本は再生します。 会葬の方におことわりしましたように、葬儀のお志の中からトルコのカマン・カレホユツク遺跡で、日本人として初めて世界史発掘を17年間つづけ、これからも30年はかかる偉業を継続している財団法人中近東文化センター(総裁・三笠宮寛仁親王殿下)に、金50万円寄付いたしました。いままで出光興産が毎年3億円寄付していたのが最近難しくなり、国民的浄財が必要になってきました。この際、その発掘は日本にとってどんな意義があるかをお考え下さればと幸いに存じます。
                                        平成16年3月吉日